魚との出会い・・・Scene15(前編)

久しぶりに書庫にある「魚との出会い」を書いて見たいと
思います。

今回は釣りと言うよりも観賞魚の話です。

昭和50年代 ちょうど熱帯魚が流行りだした頃だったかと
思うのですが、当時デパートの1Fの片隅にある小さなペットショップの
一角には金魚水槽とならび僅かな熱帯魚を取り扱っていたと思います。

小学校高学年くらいだったと思うのですがそれまでは
水槽で釣って来た鯉の稚魚やら川魚を泳がせる程度。

五色砂に当時一般的だった、焼き物で出来たエアーポンプで
クルクル回る水車小屋なんかが入っていたような。。。。

今にして思えば色合いも良くなく、投げ込み式のフィルターに
照明もなし。

ところが親に連れられ立ち寄ったデパートに一角で何気に泳ぐ
赤と青のメタリックな魚!!

そうなんです。
ネオンテトラが目に入ったんですよー!

現在ではポピュラーな魚でまとめ買いの部類に入る魚ですが
他の熱帯魚からすれば安価とも思えるのですが小学生には一匹買うのが
やっとの金額だったような。。。。。

でも水槽は無いし、熱帯魚はヒーターが必要とか、照明もいるし・・・
店員さんの言葉としては小学生にはキツイ、絶望と落胆の言葉

ある日、学校から帰宅し玄関を開けると目の前の下駄箱の上に
40センチ程度の水槽が鎮座しております。

しかも、水槽は明るく照明が取り付けられ、ヒーターもセットされて
しかも水の中にはあの諦めたネオンテトラが数匹!!

なんで買ってくれたんだろう!!???
嬉しさよりも疑問が先に・・・・

通常は涙ながら頼み込んでも欲しい物は買って貰えた記憶が
無いのに。。。。。

今にして思えば、落胆した姿を見て親心として買ったのか
何かのお金が舞い込んだのかは不明です。

なんとなく、後者のイメージが強いのですが。。。。

そんなスタートで始まった熱帯魚。

本屋で「熱帯魚の飼育本」を買いいろいろイメージしながら
広げ始めました。

当時は熱帯魚専門店としては大阪でも数件。
電車乗り継ぎで出掛けた記憶があります。

そして、中学生の頃には近所にペットショップがオープン
当然の如く、毎日通っていましたよー!

その店で最後バイトするまで。

ネオンテトラから始まり、グッピーやら一般的な大衆魚
そして、古代魚、などに移りその都度、年玉なんかが費やされて
いたような。。。。

水槽もいつしか数本に増え、水草水槽へと。
当時は水草といっても金魚藻程度でしたが、グッピーの頃に
気に入った水草が「ウォータースプライト」シダ科の水草
繁殖力も強いのですが、葉が柔らかいのか痛みも早かったと
思います。

イメージ 1















※当時の画像がないのでネットから転用させて頂きました。

ウォータースプライトもグッピーと相性が良く、そして
グッピーも新種が固定されつつある時代、現在の原型でもあると
思う、キングコブラ種やフラミンゴ種もこの頃からだったかと!?

中学になり高校生になりとその都度、熱帯魚屋廻りの
行動範囲が広がりました。

それ以前からの釣りと並行してね!!

当時、ネットが無かった頃、専門書等で目にする
もう一つの熱帯魚の王道!

変哲のない丸い形状の魚なのですがその産卵習性が特殊で
専門誌でもその姿を写真でアップされています。

それがディスカスです。
当時は普通の並みディスカスで、ファンシーディスカスなる
ちょっと赤みのラインが入ったディスカスがあった程度。

でも子供を親が守り泳ぎだすと、体からでるディスカスミルクを
与え成長させる様子が微笑ましく、憧れで幾度か挑戦しました。

しかしまだ飼育方法が確立されてない時代。
今のように水質管理、温度調整、ろ過能力、PH調整等のない時代

高度成長期の水源はお世辞にも綺麗な川では無く、そこから浄水場
送られて精製された水はカルキー満載の消毒液くさい水。

それに、ハイポなる(写真の感光材か何かの薬品だったかと)カルキー抜きを
結晶のまま投入し、水温合わせだけで買うんですからやっぱり無理が
ありますよねぇー


小学生からスタートした熱帯魚熱。
常に水槽は切らした事が無かったんですけど。

結婚後は電気代が云々、水道代が云々と文句を言われ
一時期離れる事にちょうど子供の世話も大変だった時期でもあり
釣りもしばらくは思い出した程度に出掛ける程度でした。

それがまたスタートする事になります。


とりあえず此処まで前編として後半に続きます。